素戔嗚尊神社

DSC_7566素戔嗚尊(スサノオ)神社は鹿畑の北の端、集落の入り口に鎮座し、遠く生駒山を望みつつ、眼下に広がる地域を一望できる山坂の多い鹿畑の中でも最も高い場所に位置する。東側には深い谷があり、谷沿いには古くからの田畑が広がっている。

DSC_7572素戔嗚尊神社は天正3年(1575)に創祀とされる。当初は「牛頭天王社」と称し、宝暦5年(1755)に遷座祭が行われ「祇園牛頭天王社」と改称。明示 20年に現在の社名「素戔嗚尊神社」と改称。

本殿の改築:宝暦4年(1754)・元禄時代・慶応3年(1867)・平成7年3月。境内に天保10年(1839)に建てられた(真言宗)蜜霊山「神宮寺」の地蔵堂が有ったが、その後廃寺となり社務所とされている。

祭神:素戔嗚尊命
境内摂社:大国主命(おおくにぬしのみこと)
末社:琴平明神、天照大神、春日明神、八幡神、賽の神

DSC_7568また、東大座・東中座・東小座・西座・西大座の五つの宮座が残っており、格式ある祭祀が今なお受け継がれている。

ここには、奉納絵馬等のいくつかの扁額がある。明治37年(1904)奉納の「地滑り救済図絵馬」には、崖地が多く地滑りの多かったこの 地の人々が復旧作業に励む様子などを描き、神仏に祈りを捧げるべく奉納したもの。

DSC_7576また、「おかげ踊り絵馬」もあり、これは慶応3年(1867 年)江戸末期に、この地を通った“おかげまいり”の集団を描いたものとされ、風流傘を掲げ、語弊や幟を立てて踊る様子が描かれている。

本社 を中心に、町内は東に龍王四天、西に西ケ峯四天、北に上之貝四天が祀られ、中でも龍王四天は、東に300mほど離れた高台に祀られ「龍王社」と呼ばれてい る。かつてこの地には鹿が多く、春日大社に鹿を献上したとも伝えられているが、こ の社には、鹿の足跡のような彫り型の残る石が残っており、この神石がご神体とされる。

〝東の方の丘に、鹿の足跡と思える窪みをつけている奇岩があった。村の人たちはこの不思議な石を神として祀ってきた。祠を立て村中の神と して、大昔から今日まで祭り続けられている神は、龍王四天で雨の神様である。〟(生駒市誌)

この辺りは、この神石に因んで「鹿形村」と言ったのが、現在の「鹿畑町」の由来となったと言われる。

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■隣村の日ノ出神社

鹿畑を降りて163号線を山田川沿いに木津に向かうと、柘榴という旧村があるが、ここにも神石がある。柘榴地域は鹿畑の隣村といっていいだろう。この村にある神石の由来には、次のように書かれている。「本社は元大和国生駒郡高山村大 字鹿ノ畑小字媒谷に鎮座していたが、桓武天皇が都を平安京に遷都後の延暦年間(782〜806)の頃に一夜に暴風大いに起り大雨がやってき て、山田川が大洪水となった後に、大きな石が当村の川辺の松の老木のもとに流れ着き、今に神石と呼んでお祀りしている。社殿の側にある鹿の足 跡がついた石がそれである。「柘榴」という村の名は、上流から流れて来た大きな石がこの地で木に引っかかり留まったので、「石留」のそれぞれ の字に木偏をあてたことに由来する。」

この大石は、旱魃(かんばつ)の時にこの石を若者たちが山田川まで藤蔓で縛って持っていき、水に入れると雨が降ると言われ、現在も雨乞いの行事が続いている。

(あるいは奈良県のどの地域にもいえることだが)鹿畑には、上池、下池と名のつく溜め池の他、棚田のある丘 陵の上部には必ずといっていいほど大小の溜め池がある。大きな川はなく、山田川も水量は多くない。日ノ出神社の「雨乞い石」であるし、龍王社も水神であるし、降雨を切 に願ったのだろう。水で苦労した地域であることが伺える。

そして、賽の神をはじめ、石を祀る民間信仰の形が生駒にはよく残っている。

■素戔嗚尊神社:〒630-0115 奈良県生駒市鹿畑街1764
■龍王四天王(龍王社):〒630-0114 生駒市鹿ノ台西1-17

■問合せ:生駒市生涯学習課 TEL:0743-74-1111

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